【冒頭試し読み】まったく新しい地球観測体験を描いた、ブッカー賞受賞作『オービタル ある一日の16回の夜明け』(サマンサ・ハーヴィー/小澤身和子訳)
早川書房から2026年5月より新しくスタートした、海外文学のシリーズ「ハヤカワ・プラス」。その第二弾に、2024年のブッカー賞受賞作であり、まったく新しい地球観測体験を描いた、サマンサ・ハーヴィ/小澤身和子訳『オービタル ある一日の16回の夜明け』(原題:Orbital)が登場です!
本記事では、本作の冒頭試し読みを掲載。7月24日の発売をお楽しみに。

●あらすじ
地球軌道上を飛行する宇宙ステーション。
そこでは、アメリカ、ロシア、イタリア、イギリス、
そして日本から集まった六人の飛行士たちが、
24時間で地球を16周しながら任務にあたっている。
気象データの収集、微生物の観察、無重力の中での眠り、
筋力を保つための訓練、家族との短い通信──
そんな日常が坦々と積み重なっていく。
400キロ離れた地上から届いた母の死の報せに悲しむ飛行士。
壊れかけた結婚に向き合うもう一人の飛行士。
やがて巨大な台風が発達し、島へ迫っていくのが見える。
眼下の地球は、あまりに遠く、美しい。
宇宙の圧倒的なスケールを前に人間の営みを見つめ直す傑作長篇。
『オービタル ある一日の16回の夜明け』
サマンサ・ハーヴィー
小澤身和子訳
***
マイナス一周目
地球のまわりを宇宙船で周回しているかれらは、とても近くて、とても孤独なので、時折考えていることや、心に秘めていることすら通じ合うことがある。かれらは時々同じ夢を見る──暗闇に飲み込まれたフラクタル図形や青い球体や見覚えのある面々の夢、そして感覚を容赦なく打ちのめしてくるほどのエネルギーに満ちた、まっ黒に輝く宇宙の夢だ。むきだしの宇宙は、野生の豹のように荒々しく原始的で、かれらはそれが自分たちの居住空間に忍び寄ってくる夢を見る。
かれらは寝袋に入ったまま浮いている。金属の外板一枚を隔てたほんのすぐ先には、宇宙が永遠のなかにただ広がっている。かれらの眠りは徐々に浅くなり、はるか彼方の地球で夜が明けると、それぞれのノートパソコンが新しい一日の最初のメッセージを静かに点滅させる。眠ることなく、ずっと目を覚ましたままの宇宙ステーションは、ファンとフィルターの音とともに振動している。調理区画【ルビ:ギャレー】には昨夜の夕食の残りがそのままになっていて、汚れたフォークがマグネットでテーブルに固定され、箸は壁に取り付けられた袋に差し込まれている。四つの青い風船が循環する空気のなかで浮かんでいて、アルミ箔でできた垂れ幕には「ハッピーバースデー」と書かれている──誰の誕生日でもなかったが、お祝いの席に飾るものはそれしかなかったのだ。ハサミの刃にはチョコレートがついていて、折りたたみ式テーブルの取手には、フェルトの小さな月が紐でくくりつけられている。
外では地球が、巨大な月の光のなか、遠くのほうで自転していて、宇宙船がその光の果てしない果てへ向かって進むにつれて、後方へと剥がれるようにめくれていく。太平洋の上では雲の房が、夜の海をコバルトブルーに輝かせている。今は迫り来る南米の沿岸にサンティアゴが、雲で霞んだ黄金の炎のなかに見える。閉じられた防御シャッターでまだ見えないが、西太平洋の暖かい海に吹きつける貿易風が、エネルギー源となる熱を生み、嵐を巻き起こしている。風が海から熱を奪い、それが集まって雲となり、厚みを増して渦を巻く垂直な雲の塊へと変化して、台風が生まれるのだ。台風が南アジアに向かって西に進む一方で、宇宙船は東へ、さらに東へ、そしてパタゴニアへと南下し、そこでは遠くで発生しているオーロラの揺らめきが、ネオンのドームとなって地平線を包み込んでいる。天の川銀河はまるで、サテンの空を撃ち抜いた銃弾が残した、火薬の煙のようだ。
船内の時間は、十月初旬の火曜日の早朝、四時十五分。遠くのほうにはアルゼンチン、南大西洋、ケープタウン、ジンバブエが広がっている。船の右肩越しでは地球が朝をささやいていて、細長い裂け目から、光が溶けるように滲にじみ出している。かれらは静寂のなか、タイムゾーンを次々と通り抜けていく。
かれらはそれぞれある時点で打ち上げ機【ルビ:ケロシン・ボム】によって空に打ち上げられ、その後、猛烈に加速するカプセルのなかで、ツキノワグマ二頭に相当する重さにのしかかられながら、大気圏を通過してきた。そして、クマが一頭また一頭と退き、空が宇宙空間になり、重力が減少し、自分たちの髪の毛がふわりと浮くのがわかるまで、みな胸骨を張って圧力に耐えた。
六人は、地球の上空にぶら下がっている、巨大な「H」型をした金属のなかにいる。逆さまになって回転しているのは、 四人の宇宙飛行士【ルビ:アストロノート】(アメリカ人、日本人、イギリス人、イタリア人)と二人の宇宙飛行士【ルビ:コスモノート】(ロシア人、ロシア人)だ。女性二人と男性四人を乗せた、十七の連結モジュールからなる宇宙ステーションは、時速約二万八千キロメートルで進む。かれらは、大勢いる宇宙飛行士のなかでいちばん最近宇宙ステーションに来た、ということ以外もはや何も特別なことはなく、地球の裏庭で決められたルーティン通りに任務をこなす宇宙飛行士に過ぎない。地球の素晴らしくて、とても信じがたいような裏庭で。猛烈なスピードで進みながらも、たゆたうような流れに身を任せて、くるりと回転し、頭のあった場所にかかとが、腰が、手がきて、というふうに日々くるくると回り続けている。毎日はあわただしく過ぎていく。六人はそれぞれここに、九カ月かそこら滞在することになり、無重力のなかを漂う九カ月、むくんだ顔の九カ月、イワシの缶詰のように窮屈な九カ月、地球に向いた大きな窓のある空間での九カ月を過ごした後、下のほうにあるその忍耐強い惑星に戻ることになる。
もしかすると、地球外文明がどこかから見ていて、こう疑問に思っているかもしれない──このひとたちはここでいったい何をしているんだろう? どうしてどこにも行かずにただ、周回し続けているんだろう? 地球はあらゆる疑問に対する答えであり、地球はまた歓喜した恋人の顔でもある──六人は地球が眠りにつき、目覚めるのを見て、その繰り返しに我を忘れる。地球は子どもたちの帰りを待つ母親で、物語と歓びと慕情であふれている。六人の骨密度は少し減り、手足は少し細くなる。そして瞳は、言葉では語りきれない光景で満ちている。
一周目、上昇
ロマンは早くに目を覚ます。脱ぎ捨てるようにして寝袋から出ると、暗闇のなかを実験室の窓まで泳いでいく。ここはどのあたりだ? 地球のどこらへんにいるんだろう。今は夜で、陸地が見える。視界の端には赤錆色の広がりのなかに、星雲のような巨大な都市が一つ見える──いや、二つだ──ヨハネスブルグとプレトリアが連星のようにつながっている。大気圏の輪のすぐ向こうに見えるのは太陽で、あと一分もすれば水平線を消し去り、地球を光で満たすだろう。すると夜明けは瞬く間に過ぎ去り、たちまちどこもかしこもが日の光に包まれる。中央アフリカと東アフリカが、急にまぶしく熱くなる。
ロマンが宇宙に滞在するのは、今日で四三四日目で、これまで三つの異なる任務をこなしてきた。自分できめ細かく数えているのだ。今回のミッションに従事して、今日で八十八日目。一回につき九カ月を要するミッションには、合計で約五四〇時間の朝のエクササイズがある。地上にいるアメリカ、ヨーロッパ、ロシアの管制チームとの午前と午後のミーティングは五〇〇回。日の出は四三二〇回、日の入りも四三二〇回。これまでおよそ一億七千万キロメートルを旅してきた。ここで過ごす火曜日は全部で三十六回──今日はそのうちの一回だ。歯磨き粉を飲み込むこと五四〇回。Tシャツを着替えること三十六回、下着を着替えること一三五回(毎日一通り新しい下着に着替えるのは、収納にゆとりがある場合にのみ許された贅沢であるため、ここではできない)、清潔な靴下が五十四足。オーロラ、ハリケーン、嵐──その数は不明だが、それらが発生していることは確かだ。そう、それに月の満ち欠けは九回で、六人と旅路をともにしている銀色の月は、うまくいかない日々も穏やかに満ち欠けを繰り返している。どんなことがあっても、月は一日に何度か姿を現し、奇妙に歪んで見えることもある。
自分の部屋【ルビ:クォーター】でロマンは、紙につけている記録に八十八本目の線を書き加えるだろう。時間が早く過ぎるよう願っているのではなく、時間を何か数えられるものに結びつけようとしているのだ。そうでもしなければ、軸がぶれてしまう。宇宙は時間を細かく刻む。乗組員たちは訓練でこう教わった──毎日、目が覚めたら記録をつけて、「新しい一日の朝が来たんだ」と自分に言い聞かせ、これから新しい一日の朝が始まることを納得させるようにと。
そうして朝が始まるのだが、この新しい一日の間に六人は、地球を十六周することになる。十六回の日の出と十六回の日の入り、そして十六回の昼と十六回の夜を見る。ロマンは窓際の手すりを握りしめて、身体を安定させる──南半球の星々が、ものすごい速さで遠のいていく。みなさんは協定世界時に沿って生活しています、と地上の管制チームは言う。それをしっかりと自覚していてください、しっかりですよ。しょっちゅう腕時計を見て時間を意識して、目が覚めたら自分にこう言い聞かせるんです。新しい一日の朝が来たんだと。
そうして新しい一日の朝が始まる。でもそれは五大陸と、秋と春と、氷河と砂漠と、荒野と紛争地帯を巡る一日だ。推力や宇宙船の位置や速度、センサーが織りなす、当惑するような計算のあわいで、光と闇が積み重ねられていくなか、六人は地球を周回し、その間、九〇分ごとに鞭打つような鋭さで朝が訪れる。かれらは外の夜明けと自分たちの夜明けとが一瞬だけ重なる日々を気に入っている。
暗闇を抜ける間際、月はほぼ満ちていて、大気圏が輝くあたりまで下りてきている。まるで夜は、じきに昼に拭い去られてしまうことを知らないかのようだ。ロマンは数カ月後の自分の姿を思い描く。自宅の寝室の窓から外を見つめながら、妻が並べたドライフラワー(彼には何の花かすらわからないのだが)を脇によけ、動きの悪い結露だらけの窓を力ずくで開けてモスクワの空気に身を乗り出すと、見えるのだ──ここから見えるのと同じ月、異国情緒を感じる国での休暇から持ち帰った、記念品のような月が。だが、それはほんの一瞬のことで、やがて宇宙ステーションから見るこの月──大気圏の彼方の下のほうに押しつぶされたように佇み、まるで対等だとでも言うかのように六人の上ではなく横に見える月──の光景がすべてとなり、自分の寝室、つまり自分が帰る場所について抱いたつかの間の感覚は、消えていく。
学校で「ラス・メニーナス」という絵画についての授業があったのは、ショーンが十五歳の時だった。そこでその絵がいかに見る者を混乱させ、何を見ているのかわからなくさせるかということを教わった。
絵のなかに絵が描かれているんだよ、と教師は言っていた──よく見てごらん。ほらここだ。この絵の作者ベラスケスは絵のなかにいて、イーゼルに向かって絵を描いているよね。王と王妃を描いているんだけど、二人は絵の外、つまり僕たちがいるところから絵を見つめているんだ。二人がそこにいると唯一わかるのは、僕たちから見て正面にある鏡に二人の姿が映っているのが見えるからだ。王と王妃が見ているのは、僕たちが見ているもの、つまり娘と控えている女官たちで、だからこの絵は「ラス・メニーナス」、つまり「女官たち」と呼ばれているんだよ。では、この絵の本当の主題は何なのだろう。王と王妃(絵には二人の姿が描かれているが、鏡に映った白い顔が背景の中央に小さく見えるだけだ)なのか、その娘(中央にいるこの絵の主役で、うす暗がりのなかでブロンドを輝かせている)なのか、女官たち(や小人たち、お目付け役、それと犬)なのか、背景の戸口にいる、伝言を持ってきたらしいうさんくさい男なのか、 ベラスケス(画家としての彼の存在は、絵のなかでイーゼルに向かって絵を描いている姿として表されている。彼が描いているのは王と王妃の肖像画であると同時に、おそらく「ラス・メニーナス」そのものだ)なのか。それとも、王や王妃と同じ場所から見つめている僕たち鑑賞者、つまり、ベラスケスと幼い王女だけではなく、鏡越しに王と王妃からも見られている僕たちなのだろうか? それとも、主題は(人生のなかにある幻想や錯覚や作為の集合体とも言える)芸術そのものなのだろうか、それとも(知覚や夢や芸術を通して人生を理解しようとする意識のなかにある、幻想や錯覚や作為の集合体とも言える)人生そのものなのか?
あるいは──と教師は言った。これは、何でもないただの絵なのだろうか? 数名の人間と鏡がある部屋を描いただけの絵なのだろうか?
美術の授業など受けたくもなく、もうすでに戦闘機のパイロットになると心に決めていた十五歳のショーンにとって、この学びは無駄の極みだった。特にこの絵が好きでもなかったし、それが何を描いたものであろうとどうでもよかった。おそらくきっと教師の言う通り、数名の人間と鏡がある部屋を描いただけなのだろうと思ったが、手を挙げてそう言う気にもならなかった。ショーンはノートに幾何学模様を落書きしていて、それが終わると首を吊られた人間の絵を描いた。隣の席の女の子はその落書きを見ると、ショーンを軽くつつき、驚いた顔をしてから微笑んだ。一瞬の微笑みだったが、何年も後になってその子がショーンの妻になった時、彼女は「ラス・メニーナス」の絵葉書を彼に送った──それは彼女にとって、二人が最初に心を通わせた瞬間を象徴するものだったからだ。それから何年も経ち、ショーンがロシアで宇宙へ行く準備をしていた時、彼女はその絵葉書の裏にびっしりと、あの時教師が言ったことを要約して書いて送り、彼はそのことをすっかり忘れていたが、彼女は驚くほどはっきりと記憶していて、でもそれについて彼が驚かなかったのは、彼女はそれまで会ったなかで一番賢くて、頭が切れる人だったからだ。
ショーンはその絵葉書を宇宙船の自室に置いている。今朝は目が覚めると、その絵葉書を見つめていて、妻が裏に書いた、この絵の主題と視点におけるあらゆる可能性についての文章を眺めている。王、王妃、女官たち、少女、鏡、画家。彼は自分が思ったよりも長い間、それを眺めている。最後まで続かなかった夢のような、どこか荒々しい余韻が残っている。寝袋から抜け出してランニングウェアに身を包み、コーヒーを飲みにギャレーに行くと、ペルシャ湾に突き出した特徴的なオマーンの北端、濃紺のアラビア海にかかる砂煙、巨大なインダス河口、それから彼がカラチだと知っている場所が目に入る──今は昼の光で見えないが、夜になると、大きくて複雑な網目模様が見えて、昔描いた落書きを思い出させる。
時間の感覚が飛んでしまっている、ここでのいい加減な時間の数え方によると、今は朝の六時。他のみんなが起きてくる頃だ。
☆
六人は地球を見下ろして、なぜそれが母なる大地と呼ばれるのかを理解する。みんな、時折そのとおりだと実感している。地球と母親を結びつけて考えると、子どもになったような気持ちになるのだ。きれいに髭が剃られ、中性的な見た目でふわふわと浮いている姿、規定のショートパンツ、スプーンで食べる食事、ストローで飲むジュース、誕生日を祝う垂れ幕、早い就寝、言われたことを忠実にこなす日々に強いられたイノセンス──そのなかでみな、宇宙飛行士である自分が突然消滅し、子どもらしさや存在の小ささを強烈に感じる瞬間がある。ドーム状のガラス越しに見える、かれらの偉大なる母親は、いつもどんな時もそこにいる。
だが、今はそれをもっと感じている。というのも金曜日の夕方、みんなが夕食を準備している時、ギャレーにチエがやってきて、ショックで顔を真っ青にしてこう言ったからだ──母が亡くなったの。それを聞いたショーンが麺の入った袋を手放したせいで、袋はテーブルの上に浮かび上がり、ピエトロは彼女のほうへ一メートルほど泳いで行き、頭【ルビ:こうべ】を垂れ、準備していたのかと思うほど滑らかな動きで彼女の両手を取り、ネルは聞き取れない声で──え? どうして? いつ?──とつぶやき、「え?」と聞こえるように言うと、まるでそうした言葉を口にしたことが悲しみに熱を与えたかのように、チエの真っ青な顔にさっと赤みがさすのを見る。
その知らせを聞いてから、六人は気が付くと自分たちが周回している(蛇行しているように見えるが、決してそんなことはない)地球を見下ろしていて、母という言葉ばかりが浮かんでくるようになる──母、母、母、母。今のチエに残された母は、一年かけて太陽のまわりを嫌でも周回し、輝きながら自転するあの球体だけだ。チエには親がいなくなった──父親は十年前に亡くなっている。今やあの球体が唯一、自分に命を与えてくれたと言えるものだ。あれがなければ生命はない。あの惑星がなければ生命は存在しない。言うまでもないことだ。
新しいことを考えろ、と乗組員たちはたまに自分自身に言い聞かせる。軌道上で頭に浮かぶことは、とても壮大で古い。だから新しいことを──斬新で、今まで考えられていないことを考えるんだ。
だが、新しい考えなどどこにもなく、古い考えが新たな瞬間に生まれるに過ぎない。そしてそうした時に、あの地球がなければ自分たちはみな終わる、という考えが浮かぶ。地球の恩恵がなければ一秒すら生き延びられないし、自分たちは深くて暗い、泳ぐことのできない海に浮かぶ船の乗組員なのだと。
誰もチエに何と声をかけたらいいかわからずにいる。軌道上で死別の知らせを聞いてショックを受けている人に、どんな慰めの言葉をかければいいのだろう。きっと家に帰って、何らかの形で別れを伝えたいはずだ。言葉になどしなくていい──ただ窓越しに外を眺めて、光の輝きが二倍、四倍と増していくのを見るだけでいい。ここから見る地球は、まるで天国のようだ。色がたゆたっている。ほとばしる希望に満ちた色。地球にいる時、私たちは空を見上げて、天国は別の場所にあるはずだと思うが、ここにいる宇宙飛行士たちは時々こう考える──もしかしたら、地球で生まれた自分たちはみんなもう死んでいて、すでに来世にいるのかもしれない。死んだら人は、本当とは思えない、とても信じ難い場所に行かなければならないのなら、ことによると、はるか彼方で美しくも寂しい光のショーを繰り広げる、あのガラスのような球体が、その場所かもしれないと。
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